ものの心 序章


 今日、食器を干す所の横に、割れたコップがひとつ置いてあった。
 それは色々なものを飲むのにしょっちゅう使っていたお気に入りのそれで、母が以前どこかで2つ同じのを買って来たものだった。
 私はふと、そのコップの心に思いを馳せた。
 一緒に創られ、店に並び、ただ二つ、同じ家に買われて。
 いつも一緒に食器棚に並び、同じ用途、時には同じ食卓に並んだ。
 何気なく手に持ち、唇をつけるそれらは、言わば双子のような存在だったのではないだろうか。
 他にも同様の用途をするものは沢山あって、食器棚に腐るほど入っている。
 毎日使われるもの、祝いの席で使われるもの、殆ど使われないもの。
 冷たいものを入れるもの、温かいものを入れるもの。沢山の量を入れておくもの。
 透明なもの、半透明なもの、大きいもの、小さいもの、模様のついているもの、でこぼこしているもの、寸胴なもの、すぼまっているもの、広がっているもの。
 数々のコップやカップたちの中でただ二つ。
 同じ形、同じ色、同じ場所で同じときに作られたもの達。
 その片割れは割れ、形を失った。
 役割をなさず、もとの美しさを持たず、そして尖った先で人を傷つけてしまうものになった。
 それはまるで、死の瞬間。
 ばらばらになった体、ばらばらになった心、きっとこのコップの魂は、もうここにはいない。
 もしかしたら名残を惜しみ、宙に浮いて漂っているかもしれないけれど。
 きっと残された片割れは、悲しみ、苦しみ、悶え、叫び、けれど声も出ず、体は動かず、今日もまた、一人使われ続ける。
 いつか自らも壊れるか、捨てられるかする形で、相棒のところへ行けるまで。
 その心は、きっと人のそれと同じ。

 ものに心なぞ存在しない。
 それでもこんな風にものの心を人が勝手に想像することは、できる。
 それは、愚かな行為だろうか?
 自己満足に過ぎないことは解っていても。
 私は、考えてみようと思う。
 ものにもし、魂が宿り、心があったら、なにを感じ、なにを思うだろうか、と。
 日々どう過ごし、どう生きているのかと。


08,03,17,


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